約4年子育てをしてきて、一番ムスメたちから学んだ事は、本当の『特別』とは何か。
これに関しては、「まだまだ4年」とは到底思う事が出来ず、むしろこの時期にそれを気づけないと、これを子育てから学ぶ機会は年々少なくなっていくと思う。
理由は、「物の価値観がまだないこの時期の我が子を喜ばせる為にはどうすればいいか」を考えるチャンスがやはりこの頃しかないから。
『無償』という、本質的な部分。
成長につれ、物の価値が分かってくると、今まで「1」で良かった事が「2」じゃないと満たされなくなり、それが「3」にも「4」にもキリなく増え続けていく。
そういった感覚がなく、目に映る物事の全てに値札が付いていないこの時期の子育てだからこそ学べる『特別』とは何か。
「よし、今日は特別な事をしよう!」
大抵の大人の場合、このひと声から始まる1日があるとしたら、そこから始まる1日を想像すると、少し遠い場所まで足を運び、いつもより少しお金を使った、非日常を思い浮かべる。
いつもは行けない場所、いつもは買えない物、いつもは食べれないもの。
ワタシにとっての『特別』も、はやりこういった事が思い浮かぶ。
だが、この時期のムスメたちと接すれば接するほど、それはたいした『特別』ではなかった事に気付かされる。
飛行機に乗って空の上を飛ばなくても、手をつないで目の前の公園まで歩いて行くだけでどれだけ笑顔で喜んでくれるか。
お店に行って何か買わなくても、家にある物だけを使って一緒に何かを作るだけでどれだけ目を輝かせてくれるか。
わざわざ外食をしなくても、家族揃って「いただきます」と囲む食卓のご飯をどれだけ美味しそうに食べるか。
本当の『特別』は『無償』の中にある。
お金がかからないから『無償』という意味とは全く違う。
目に見える数字ではなく、心で感じる事を「価値」としている今の時期のムスメたちの『無償の特別』はいつも近くにある。
ムスメのリクエストで、一緒に折り紙の風車を作った。
家にあった折り紙と、ノリとボンドと画鋲とハサミ。
使ったのはこれだけ。
家にあったものだけ。
出来上がった風車を片手に、ムスメは膨らむだけほっぺたを膨らまして息を吹きかけて、クルクルと回る風車を見て喜んでいた。
ツマに見せびらかすように「見てー!これパパと作ったよ!」と笑顔で話すムスメの顔が、いつもに増して可愛かった。
「外の風に当てたらもっとクルクル回るよ」
そう言うと、嬉しそうに風車を片手に近所を散歩した。
『特別』とは何か。
きっとそれは大人が言う「失って初めて気がつくもの」
これと同じ事だと思う。
価値があると思うものばかり追うと、本質的な部分を見失ってしまう。
そこを全部抜きにして、一番近くにある笑顔こそが本当の『特別』なんだと、日々子育てから学ばせてもらっている。
「失って初めて気がつく」ではもったいない。
ムスメたちにとって何が『特別』か。
いつか振り返った時にだけようやく気づく事がないように、今のムスメたちとしっかり向き合って行こう。
【papalife パパライフ ブログ パパが子育てを楽しむ】