今日はつむぎの健康診断の日。
ワタシは仕事の為、ツマがひかりと一緒に早めにつむぎを保育園まで迎えに行き、そのまま小児科に連れて行ってくれた。
午後3時頃、「つむぎはどんな感じかな〜」と気になっていたところにツマからラインが。
そこには「大乱闘!」という文字とともに、2秒程の動画が一緒に送られてきた。
急いでツマが止めに行ったのだろう、そのわずか2秒の動画に映っていたのは「大乱闘」と言った言葉からは程遠い、一方的につむぎが首を絞められ、体を揺らされていた姿。
ワタシはそれを見てひどく心が痛んだ。
相手の子の様子はよく分からなかったけど、おそらくつむぎよりもまだ小さい子。
このくらいの子どもが、おもちゃの取り合いなどが原因で訳も分からずに、こういった状況になるのはよくある事。
実際、つむぎも2歳ぐらいの時は自分が遊びたいものを他の子が使っていたら、無理やり取ったり、それでも気が済まない時は、相手が小学生でも追いかけ回して服を引っ張っていた。
ツマとワタシが何度その後を追いかけ回って謝り歩いた事か。
しばらくしてからは、そういった事は一切しなくなった。
聞くと、今日はびっくりして泣いてしまったようだが、じっと耐えていたらしい。
だから今日の出来事やその子に対して何かを思っている訳ではない。
首を絞められて体を揺らされるのを、じっと耐えるつむぎの後ろ姿。
〈これが5年後だったら?10年後だったら?〉
それを想像すると、ワタシはいたたまれない気持ちになった。
保育園に通い出しただけでも、既に親の目には届かない部分の生活は始まっている。
更にこれからこの子が成長し、いろいろな環境に接する中で、今後待ち受けているかもしれないゼロではない可能性を見せられた気がした。
そこにワタシはひどく心が痛んだ。
「うちの子に限ってそれはない」
そう言い切れる事が出来ればいいが、何がきっかけでどうなるか何て誰にも分からない。
今の時代、それを面白がってネットに流している様子もよくテレビで目にする。
今日は小児科でまだ幼い子同士の行動がツマから送られてきたが、これがもし、成長した我が子が同じようにされている様子をネットで目にする事になった時、ワタシは耐える事が出来るだろうか。
現実に、そのような様子を目にする事になってしまった親たちも存在する訳で、それを思うとまた辛くなった。
「可愛い、可愛い」
そうやって目の届く範囲で囲ってあげて、何かあればその場で守ってあげるという子育ての環境も、あと数年で終わってしまう。
ムスメが、ムスメだけが知る環境の中で育っていく時、ワタシはそれ以上のスピードで親として成長し、嬉しい時には一緒に喜び、悲しい時には支えてあげれる存在にならないといけない。
ツマとワタシの目から見て、つむぎもひかりも優しい性格をしている。
いつかもし友達に何かをされた時、今日のようにじっと耐えているだけかもしれない。
ワタシがしなければ、ならなければいけない事。
そんな時に自分の中だけで抱え込ませずに、ムスメたちを迎え入れる環境が『なんでも話せる家族』にしておく事。
その時が来て急に「話してごらん」何かではない。
常にそれが当たり前の環境でありつづけさせる事。
ムスメたちの笑顔を守る為の最優先を、判断出来る力を身につける事。
そして何より、親として心を成長させる事。
正直、今日の動画を見るまでは数年後”あるかもしれない”状況を想像すらしていなかった。
想像する必要すらなかったのかもしれないが、「いつまでも今のままではないぞ。子どもは成長する。親はそれ以上に成長しなさい」と、背中を押された気がした。
急に、今の環境をガラリと変えるという事ではない。
今ある環境の延長上で、『今日』の笑顔を全力で守る。
その『今日』を毎日守り続け、結果それが何年にも積み重なればそれでいい。
それを守る為に、ワタシも成長しなければ。
『なんでも話せる家族』
そして『今日』の笑顔を毎日守る。
我が家はそんな家族になる。
そんな父になる。
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