今朝、ワタシはつむぎを叱った。
つむぎが朝起きた時、ワタシはパソコンに向かい、ツマはちょうど洗面所に行っていた。
隣で眠っていたはずのママがいない事に気付き寂しくなったのか、寝室から「ママー!」とつむぎの泣き声が聞こえてきた。
ワタシは寝室へ向かい、「つむ、今ママは顔洗いようだけやけんすぐ来るよ」と伝えた。
すると、つむぎは「いやー!ママがいい!」と、気分任せでワタシの顔を叩いてきた。
今回の理由はこれ。
寂しかったんだろう。
気持ちの部分だけは分かる。
だからと言って人に手をあげていい訳がない。
幼いから許される事でもないし、こういった行為が許されるとも思って欲しくない。
何もただ単に私が腹が立ったから叱った訳ではなくて、ムスメ自身の為だ。
今なぜ叱られているのか。
してしまった行為は取り戻せなくても、その後「ごめんなさい」を言えるのか。
これを分かってもらう為にワタシは叱った。
当然、憎たらしい感情はひとつもない。
恐怖感を植え付ける気もさらさらない。
『この子には絶対伝わってくれる』
ムスメを叱る時、ワタシの気持ちはこの一心だ。
『叱れる信頼』がある。
絶対分かってくれる。
本当のところはどうだか本人にしか分からないが、ワタシはムスメを信頼している。
「今日は散歩して保育園行きたい」と、つむぎが言ってきた。
ムスメの事を信頼しているのは間違いないけど、ワタシ自身の子育てに関しては、ずっと手探り半信半疑。
「ムスメは分かってくれているはずだが、ワタシの態度はこれでよかったのか?」
ムスメを叱る度、いつも同じ自問を繰り返す。
その自問に対する答えをごまかすかのように、今朝のワタシはマシュマロをひとつ手に隠し持ち、つむぎと一緒に保育園まで散歩して向かった。
散歩の途中、「つむ、パパの手をよく見てごらん」と言いながら、手に持ったマシュマロを見せると、さっきまで叱られていただけあって、まさかのマシュマロにつむぎは大喜び。
本当は、その笑顔だけを見ていたいんだよ。
それはいつだってそうだ。
でも、伝わると信頼しているからこそ、叱る時は叱る。
その度にワタシの伝え方が悪い部分もあると思う。
すまない。
まだまだ半人前の父親だ。
今は足りない部分ばかりだけど、それでも、これからも、ムスメたちも、パパの事を信頼していてほしい。
【papalife パパライフ ブログ パパが子育てを楽しむ】