朝7時。
週末を楽しみにしているムスメたちの朝は早い。
コーヒーを飲みながらしばらくはダラダラと過ごした後、
ワタシもスッキリとした気分でムスメたちと遊びたかったので、
朝食後、ツマがムスメたちと買い物へ行ってくれている間に、溜まっていたお仕事お仕事。
つむぎがいる前でパソコンを扱っていると、「パパのお仕事のお手伝いする!」と言って膝の上に乗ってパソコンをデタラメに触ってくる。
当然、ジャマをしに来た訳でもなく、「お手伝い」が目的な為、なかなか注意もしづらい。
それに、実際はムスメが膝の上に座って来る現状にニヤニヤしている自分がいる。
そこはツマのナイス判断で静かな時間を作ってもらい、仕事もスムーズに進んだ。
ツマとムスメたちが帰宅後、昼食を済ませ土曜日の習い事、ベビーパークとキッズアカデミーへ。
毎週毎週、授業終わりは大人のワタシたちでも本当に疲れる。
もちろん嫌な疲れ方ではなく、「しっかり頭を使った」という、ちょっとやりきった感。
教室はつむぎから始まり(その間ツマとワタシとひかりは外で待機)、つむぎが終わったららその1時間後にひかりが始まる。
ひかりの時間は家族皆んなで参加する為、つむぎはずっと頭を使いっぱなしだ。
夕方、帰りの車ではぐったり眠る様子を見ては、「本当によく頑張ったね」しかない。
ここまで毎週クタクタになりながらも毎週喜んで行っているのは、よっぽど楽しんだろうなと感心する。
ワタシ自身もここの教室の雰囲気が好きで、その理由は、自分の子どもの事が大好きな親が集まっているから。
『知育教室』と言っても、すぐにはいろんな事が上手くいくわけでもなく、すぐに目に見える様な成長がある訳でもない。大事なのは更にその先で、ここで身に付けた「考える力」を表現出来る様になるかどうか。その基盤を身につける事。
普段からその環境を作ってあげる為には、子ども任せでは成り立たない。
だからこそ、ここに来ている親は真剣そのもの。
ツマもワタシも例外になく取り組む為、帰りは頭パンパンでヘトヘト。
それに、信用して通わせる事が出来るのは、やはり先生の存在が大きい。
担当してくださっている先生が、今まで何をしてきたか何て詳しくは聞いてはいないけど、言葉に「経験」を乗せて話してくれているのがすごく伝わる。
誰でもそうだろうけど、「何となく」・「だろう」や、「どこかで聞いた事」を基にする人の話しは内容が感じられず頭に入ってこない。
だけど、ここの先生は言葉に迷いがない。
ムスメの事は親が一番知っているつもりだったのに、性格のや環境の事を言われても、悔しいくらいにすっと言葉が入ってくる。
「経験」で話してくれている。
これは子育てでもそうだと思う。
ムスメたちが将来、ワタシが経験をした事がない事へ挑戦しようとした時、ワタシは黙って背中を押してあげる事は出来ても、分かったような顔でアドバイスをする事は出来ない。
したところで、きっと「経験がない言葉だけ」と伝わってしまう。
ワタシはムスメたちの将来を、中身のない『お前の人生だ、好きにしなさい』の言葉でごまかすつもりはない。
ワタシ自身、まだまだいろんな事に挑戦し、その「経験」で話しをした上で、『ここからはお前の人生だ、好きにしなさい』と言ってあげたい。
「時代が違うから分からない」と言った言葉も出来れば言いたくない。
中身のある良き理解者でありたい。
その為に、成長したムスメたちを大きく待ち構えていられる様に、たくさんの事に挑戦しそれを経験すのるも、我が家の『親』としてのあり方。
つむぎは帰宅後、「経験」したフラッシュカードをひかりにして見せた。
フラッシュカードとは…1秒以内単位のスピードで絵柄や数字などのカードをめくって見せ、大量の情報をインプットさせるのが目的。また、その1秒以内時間で情報を処理する力を身につけさせること。
途中絵柄と全く違う単語を言っていたけど、きっとそれが美味しかったという「経験」からでた言葉なのだろうと、笑ってその様子を見届けた。
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