【親の責任】
この言葉は、当然子どもが何歳だったとしてもその親に問われる言葉。
ただ”個人的”に、3歳と4歳ではそに言葉の重みは変わり、3歳までは「幼い子どものした事」と笑ってられる様な事も、4歳ともなればたとえその子が分かっていなくても、「なぜ親は子に分かる様に伝えないのか?」そう思ってしまう。
そして今、つむぎはその4歳になろうとしている。
ツマやワタシの言っている言葉の意味が何も分からない時期はとうに過ぎた。
もちろん全ては分かっていなくても、「ダメなものはダメ」それくらいは理解出来ている。
0歳児のひかりくらいまだ何も分からなければ、目と手の届く範囲で行動を見守りながら、何かあればサッと手を差し伸べるのが【親の責任】だろう。
でも、言って分かる年の頃になると、親がどれだけ親子の時間を作り、どれだけそれを分かる様に子に伝えるのか、それが【親の責任】だと思っている。
どこの家族も、『誰が何と言おうが我が子は世界で一番可愛い』
例外なく我が家もそう。
でも、つむぎには「可愛い」だけの子育てはもう終わっているのは確か。
分かってもらう為に、怒らざるを得ない場面が日々増えている。
「相手の事を思った愛のムチ」
既に理解力が身に付いている先輩後輩の関係ではワタシも今まで経験してきたが、言葉を覚えたての幼児に向けては初体験。
そこで改めて身に染みているのが、「どう伝える」よりも「誰が伝える」かの重要性。
その背景にはやはり『信頼関係』が大きい。
相手は3歳児。
力で抑えて聞かせる事ならあまりにも簡単。
そして、たまにニュースで目にするそういった行為は、大人としてあまりにも幼稚。
あくまでも言葉で伝ながら、その奥にある意味を理解してもらう必要がある。
その為に、声のボリュームが大きくなる時もあるが、「ワタシが言えば、この子ならこれをきっと分かってくれる」と思いながら物事を伝えるようにしている。
後は積み重ねた信頼関係が、これを「理解」へと繋げてくれるだろう。
どこかで聞いて準備された言葉を並べるのは誰にでも出来る。
でもそれを相手の心に響かせるのは、即席の言葉では絶対に無理だ。
もしその時そう言った言葉でしのげたとしても、いつかその言葉の軽さが露呈される日が必ず来る。
そうなってしまえば、『信頼関係』は、元も子もない。
まだ頭よりも心で理解している。
大人の常識にはまだいない。
ただ大人も子も共通して感じる事が出来るのが、「この人に言われたから反省するし、この人に褒められたから嬉しい」
この感情を、まだ言葉があまり理解出来ていない相手に抱かせるには、日々の信頼関係の構築であって、それこそがここから先の【親の責任】だと思っている。
惜しい事に、現時点ではこの子育て方針について答え合せをする事は出来ない。
それでも間違っていないと思っているワタシに、いつかこの記事を見たムスメたちが答え合せをしてくれるだろう。
いつかこの記事を見て、もしムスメたちとそういった会話を出来る関係でいられたら、ワタシは【親の責任】の取り方と子育ての方針について、その時ようやく確信を持つ事が出来る。
「本当言うと、小さい時からパパ嫌だった」
万が一、万が一この様な回答が来た時には、黙って家を出て近くの焼き鳥屋で涙を拭い1人酒を飲み、妻が雨の中傘を持って迎えに来るところまで既に想像は出来ている。
子育てという世界で一番楽しいQ&A。
恐ろしくらいのスピードで時代も変改し、社会的には求められるものはどんどん変わっていく中、ここだけは絶対に変わらない人同士の心。
親子の心。
公園に遊びに連れて来て、「後は自由にそうぞ」と言った感じでベンチに座り、ジッとスマホをいじってる親が、もし自分の子に何かあった時にだけ発する言葉に信頼はあるのか。
少なくともワタシは信じない。
視野の広さの分、子は親が子を見る以上に、親の事を見ている。
ごまかしは効かない。
だから毎日ムスメたちと向き合う事で理解しようとし、逆にワタシという親を理解してもらおうとしている。
【親の責任】
今はその日々の積み重ねの最中。
ワタシもまだ親として未熟で、怒る事も多々ある。
ワタシの方が違っている事も少なからずあるだろう。
それでも真正面から成長と向き合っているのには間違いない。
不満がある時もあるだろうが、そこは親子で成長しよう。
パパだって、全てが手探りだ。
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