インターネットやSNSの普及はもちろん
携帯電話すらこの世になく
何をするにも自ら足を運んで体で経験し
誰かに意見をするにも直接顔を合わせる。
そんな時代に幼少期を過ごした身としては
今の時代とこれからを生きる子どもたちに思うことがある。
シンプルだった。
今思えばワタシが子どもの頃は生きる環境としては今に比べてとてもシンプルだったと思う。
『昔が良くて今が悪い』という話しではなくて
ただ、生きる環境が今よりもシンプルだった。
ここ最近すごく怖く感じることがある。
2025年1月現在の大ニュースとしてテレビやネットで報じられているのは国民的大スターの揉め事。
大人の揉め事なんてどの時代にも尽きない話し。
だからこの話し自体は正直どうでもいい。
だけどこのニュースを通して改めてすごく怖く感じることが。
それは
全くちょっともこれっぽっちも関係のない人たちが
顔も見せず
名前も明かさず
男か女か子どもか大人かも知らせず
どこの誰かも分からない
無関係過ぎるくらい無関係な外野が
SNSを利用して土足で輪の内側に入り込んでは好き勝手な持論を言いたい放題
何が怖いかって言うと
この『得体の知れない言葉たち』が人の人生や企業の方針を瞬く間に狂わせてしまう現実。
『得体の知れない言葉たち』が力を持ちすぎて
『得体の知れない言葉たち』に怯えなければいけない現実。
ワタシの幼少期はSNSなんてなかった。
良いことも悪いことも顔を合わせて言っていた。
傷つくことも傷つけてしまうことも
痛みを知ることもその上で優しさを学ぶことも
顔を合わせて話す中で経験してきた。
でもこれがシンプルで分かりやすかった。
自分の吐いた言葉で相手がどんな表情をするのか
逆に自分がどんな思いをするのか
人対人の大切さや言葉の力を1番体感できた。
だからワタシにはまだ『言いたいことは顔を合わせて直接』という感覚が根底にある。
でも子どもたちは違う。
生まれた時からSNSが当たり前にあって
そこで意見を言い合うのも当たり前な環境。
そして何より
本人同士が解決した話しだとしても外野から投げ込まれる『得体の知れない言葉たち』がそれを許さなかったらその言葉たちが勝ってしまう。
子どもたちはこんな時代を生きていく。
もちろん大前提に色々な技術が発達して便利になった今はとても良い点がたくさんある。
でもそれは人対インターネットみたいな『人対何か』の話しで
『人対人』という点においてはとても複雑に思える。
そしてこの先もっと時代は変わっていくだろう。
子どもたちよ
この日記を読む頃は『パパは時代遅れ』と言われるかもしれない。
でもね
本当の喜びや温もりや痛みや悲しみっていうのは相手と顔を合わせて話さないと分からないことばかりだ。
SNSの『いいね』の数なんかよりも
良いことをして頭を撫でられた時の心の温もりだったり
悪いことをして叱られた時の心の痛みだったりを経験する方がよっぽど価値がある。
パパはそう思ってる。
どの分野でも本当に大切なことは結構シンプルだったりする。
『人対人』もそう。
大切なことはいつだってシンプル。
あなたたちがこれから先どんな時代を生きているのかは想像もつかないけど
姿を隠した遠い外野からではなくて
目の前にいる人が喜ぶ顔に心を満たして
目の前にいる人が悲しむ顔に心を枯らして欲しい。
『人対人』で大切なことを決して忘れずに成長してください。
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