先日、近くの小学校でつむぎをブランコに乗せていた時の話。
4つ横並びのブランコ。
右から3つは、見た感じ小学3年生くらいの男の子たちが使っていた為、
つむぎを一番左に座らせた。
ゆっくり背中を押しながら、楽しそうに会話をする隣の男の子たちの声が耳に入った。
「〇〇って〇〇の事好きらしいぜ〜。」
まあ、このくらいの会話なら分かる。
「〇〇って〇〇と付き合っとうらしいぜ〜。」
ちょっと分からない。
「でも〇〇って〇〇の事も好きやけん、あいつ不倫しすぎ〜。」
分からない。
と言うよりは、分かりたくない。
この男の子たちの、見た感じ小学3年生くらいが当たっていれば、
年齢は8〜9歳。
となると、となるとだ、
この3年間もあっという間だったというのに、
つむぎは後5年もすればこの会話の「〇〇」に当てはまるかもしれない。
頭で「約あと何年」を計算した瞬間、ワタシの心は理解を拒んだ。
小学生の会話なんてこんなもんだ。
分かってる。
それに、もし他の父親が同じような事に理解を拒んでいたら、
「子どもも成長するから。」
などと、分かったような事を言っていただろう。
でも、心に秘めた部分は正直だ。
「理解」という心の扉にしっかり鍵をかけ、
そっとつむぎをブランコから下ろした。
帰り道、いつもより少し強めに手を握った。
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