『子は親の鏡』
最近はこの言葉が自分の中でやたらと腑に落ちる。
子どもを通して子育てが見えてくる。
今まではそう実感する事はあまりなかったけど、ムスメの成長に伴い、親としての意識が少しずつ変わっていっている証拠かもしれない。
まだ0歳のひかりはもちろん、つむぎも少し前まではワタシの目の届く範囲で遊んでた。
だが最近は、公園などに行くとワタシから離れ、ちょっとした範囲内だが自分で考え、自分で行動するようになった。
ワタシから離れ、同じ年の頃の子たちと一緒に遊具で遊ぶ中で、ムスメが1人で考えて移した行動こそが、『子と言う鏡に映った親の子育て』そのものだと思う。
遠目で様子を眺めていると、子ども同士でも色んなやり取りがある。
遊具で遊びたくて待っている子に、順番をかわってあげる子。
順番を無視して横取りで遊び続ける子。
それに困っている子に気付いて声をかけてあげる子。
色んな子がいるが、どの子も生まれた時から決まってそういう子な訳ではないと思う。
今に至るまでの数年間に、親がどう接してきたか。
これが左右する部分は多いはず。
きっと、順番をかわってあげてた子は、その子の親が、「順番を守って皆んなで遊びましょう」と教えてきたんだろう。
順番を無視していた子は、その子の親がその行為を無視してきたんだろう。
そして困っている子に声をかけていた子は、その子の親も同じように何かあれば声をかけてくれてきたんだろう。
まだ自分自身で得た経験が少ない幼い子は、親の接し方から受ける影響が大きい。
全てがそうだとは言い切れないが、あながち間違っているとも思っていない。
「子どもがした事ですから」
この言葉はつまり「親の子育ての結果ですから」とも言い換える事が出来るとすら思う。
そのくらい、子どもが幼いうちからしっかりと向きあい、たくさんの思いを伝える事は、その子の「基」を作る為の大切な時間だ。
大きくなれば親が言った言葉よりも、もっと刺激的な経験がたくさん待ってる。
そしてその自分自身で積み重ねた経験から、自分が進む道を選んでいくのだろう。
でも、どんな経験を積み、将来どんな考え方をしていたとしても、幼いうちに親との間で作られた「基」は変わる事はないと思う。
今順番を守っている子は、きっとこの先も順番を守るだろう。
「こういう時にはこうしなければならない」
そう言ったルールを押し付けているのとは全く違う。
人と関わり合って生活する上で、相手の事を思いやり行動する為に必要な愛情を伝える。
親から受けた愛で、その子はその愛を持って次に誰かを愛する。
友だちが遊ぶ中に我が子が入った時、どういった行動をとるか。
その行動こそが親が向き合ってきた子育てそのものだ。
鏡に映った自分自身。
何があっても子だけを責めず自分も責め、何かあったら子を褒めて自分も褒める。
幼いうちにこの鏡は出来上がってしまう。
その鏡に、今の自分はどう映る?
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