先週末の知育教室での事。
ここではレッスン終了時に先生からシールを1枚もらい、連絡帳に貼っていく。
季節に合わせたシールを数種類準備してくれていて、この時期は紅葉などがメイン。
つむぎはすぐに「葉っぱのシールがいい」と言って、嬉しいそうに連絡帳に貼っていたが、別の子は「お花のシールがいい」と言ってなかなかシールを受け取ろうとしなかった。
その中に花のシールは入っていないらしい。
その様子をツマとワタシは教室の後ろから見ていた。
「このシールなんてどう?」
つむぎはそう言いながら葉っぱのシールを持ってその子に近づいた。
「お花のシールがいい」
やはりその子はそのシールを受け取らなかった。
「この葉っぱならどう?」
「これは?」
「違う」と言っているその子に対して、つむぎは何度も何度もシールを持って行った。
あまりにも何度も行く上に、終いにはその子のノートに勝手貼ろうとまでしたから、「つむぎ、そろそろやめなさい」と注意しようとした。
するとそれより先に「大丈夫です」と、ワタシたちが先生から止められた。
「大丈夫です。どこかでちゃんと気付きます。それを自分で気付く前に止めるんじゃなくて、気付いた時に思い切り褒めてあげてください」
すごく心に響いた指摘だった。
その後も「このシール貼ろうか?」と、つむぎは続けていたが、先生は「大丈夫です」とだけ言って見守ってた。
しばらくすると、「この子はこれを求めていない。嬉しそうじゃない」と、つむぎは気付いたのか、急に言うのを止めた。
すかさず先生は「お花のシールは次準備しとくからその時貼ろうね」とその子をケアし、続けて「つむちゃんもこのシールじゃないって自分で気づけてすごいね」とつむぎを褒めた。
「お父さんお母さんも褒めてくださいね」と言われ、先生に続いてつむぎを褒めた。
「やってる方もやられている方も、3歳児なりにお互いの気持ちをちゃんと理解出来ます。だからすぐに止めなくて大丈夫です」
なるほど〜。
確かにつむぎは嫌がらせをしようとした訳ではない。
その子に良かれと思ってやた事だが、「自分の好きなシール」と「相手の好きなシール」が噛み合わなかっただけだ。
先生曰く「相手の子もそれをちゃんと理解出来ているから大丈夫」と。
そしてつむぎも、自分で自分がしている事が違うと気付けた。
なるほど〜。
その成長のチャンスを奪うところだった。
子どもたちには子どもたちの世界がちゃんとあって、そこを親が信用して見守る事も子育てをする上で大切な事なんだと学んだ。
そこの線引きは正直難しいが、そこは日々の向き合い方で信用を積み重ねていくしかない。
その晩はワタシの実家で夕食を食べた。
食事中、父親がふと口を開いた。
「俺たちの時代は周りと同じ事をするのが当たり前だったし、そうしなければいけない流れもあった。周りと違う事をすれば注意されるし、違う事をする事で”変”だとも言われる。
勉強をして、いい学校に進んで、いい会社に入る。これが”普通”だった。だから子育てをするのにも、違った事をしていたら違うと注意すればそれで良かった。
でも、今は違う。
今は周りと違う事をすればそれは”個性”だと認めらる。そこを親が見極めて伸ばしてあげる事が出来る。
だから、親がそこを見落とさないように接しないと」
なるほど〜。
確かに。
「何でも注意しとけば言い訳じゃないから、今の子育ては忙しいな!」
最後は冗談まじりに笑って話していたけど、これも心に響いた指摘。
『感覚』で行動している事がまだほとんどの時期。
この『感覚』を生かすも殺すも親次第なんだと改めて実感。
「だめよ」
幼い子を育てていれば、こう口走りたくなる場面ばかり。
そう言った場面では注意して止めてしまえば話しは早いが、その前に「なぜこの子はこうしている?」を一度考えるクセと、ムスメ自身に自分の行動についてを考えさせるクセをつけよう。
そして何より、今以上にムスメを信用しよう。
今以上に、もっともっとムスメを知ろう。
子育て方改革、開始。
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