昨日から、冬の博多駅が本気モードに入った。
毎年この時期から年明けまで、盛大なイルミネーションが装飾され、日が沈む頃からは博多駅付近はキラキラと輝いている。
ワタシはどちらかと言うとクリスマスよりも正月の方が好きで(のんびりお酒を飲めるから)、クリスマスをあまり意識して生活をしてこなかったけど、クリスマス大好きなツマの影響で少しずつクリスマスを楽しむようになっていた。
つむぎが生まれると「何かしてあげたい」が強くなり、益々クリスマスへの興味に拍車がかかった。
「とりあえずデカイ方がインパクトがある!」と、コストコに行き勢いで2メートルくらいのクリスマスツリーを購入。
その後、保管場所に頭を悩ませる事になるが、その時はとにかくつむぎが喜んでくれたのが嬉しくてたまらなかった。
「クリスマスツリーでこれだけ喜ぶなら、博多駅のイルミネーションを見せよう」と、過去3年毎年見に行っている。
これが我が家の「冬の行事」のひとつとして定着してきた頃、去年の冬、ワタシの中でこの博多駅のイルミネーションが『特別なもの』と変わった。
ある日、考え事をしながら自転車で仕事場から帰っていると、博多駅付近は例年のようにイルミネーションが輝いていた。
「今年もキレイだな」
そう思いながら近くを歩く歩行者に目をやると、キラキラと光るイルミネーションを眺めている人たちは皆んな幸せそうな顔をしていた。
ワタシの目に入った限りでは、嫌な顔をしてそれを眺めている人は誰1人いなかった。
キレイに光っているイルミネーションを見れば人は幸せそうに笑顔になる。
暗い場所では心細くても、何かが光っている場所では安心する事が出来る。
「すごい力だ…」
その瞬間、ワタシの考え事はキレイさっぱり無くなった。
この時のワタシの考え事と言うのが、次女「ひかり」の名前。
ムスメたちの名前はどうしてもワタシが決めたくて、他にもたくさんの候補を出した。
画数も調べ、本もネットも見合わせながら色々と考えた中、自分の中でスッと心地よく落ちてきた名前。
【人を安心させ、笑顔にして欲しい】
そんな意味を込めて「ひかり」と言う名前を付けた。
そして実際、生まれてきたひかりは、名前の通り我が家を更に明るく笑顔にしてくれた。
この事もあって、このイルミネーションはワタシにとって特別なもの。
今朝、「ひかりの名前は博多駅のイルミネーションを見る人の表情とかから決めた名前やけん、また今年も見に行こうね」とツマに話しかけた。
するとツマは何か作業をしながらサラッと答えた。
「そうね。博多駅が付けた名前みたいなもんやもんね」
博多駅が付けた名前みたいなもん…
博多駅が付けた名前…
博多駅が…
頭の中でこのツマのひと言が何度もループした。
〈ワタシが!ワタシが!ムスメの為に悩み悩んでこの名前を考えていたのを見ていなかったのか〉
心の声を押し殺し、ワタシはひかりをギュッと抱きしめた。
今年は初めて家族4人で見に行けるから楽しみだ。
そんな思いで仕事をしていた夕方、つむぎを迎えに行く頃のツマからラインが届いた。
「ミルクが苦手で居残り。笑」
給食を残して居残りする子の、この風景を久しぶりに見た。
こんなキレイな居残りのされ方に、ワタシは思わず笑ってしまった。
確かに手にはコップを持ってる。
そして、ツマに助けを求める視線。
つむぎの性格、そして何より先生への信頼があるからこそ、ワタシは笑ってしまった。
もし日頃から保育園の事を何も知ろうとせず、この状況だけを見せられたら「何これ?」と身勝手に怒ってしまっていただろう。
恐らく、良く耳にする『モンスターペアレンツ』という言葉も、ひょっとしたらコミュニケーション不足や信頼関係不足が原因なのかも。
ワタシは前のめりでムスメの行事には参加したい方なので、それを通して園内の様子や園内でのムスメの様子、そして先生とのコミュニケーションを少しずつ構築していった。
『信頼』している。
だからこそ笑ってしまった。
もっと言えば、「何かあればどうぞ厳しくしてください」とすら言える。
勉学や特別な知識についてはその分野の先生にお任せしたいが、そもそもの『子を育てる』という部分では、親が出来ない事を先生に求めるような行為は、ワタシの中ではおかしな話し。
そこを詰めていくと「なぜこの子はこうやって先生に怒られたのか」という疑問が、自分の中で腑に落ちるようになってくる。
ワタシは、先生の持っている信念を、”外野”の野次なんかで曲げずに教育に向き合ってもらいたいと思っている。
だからこそ、”外野”にならないように行事には参加するし、先生や保育園を知ろうとする。
これも親の務めだと思っている。
いつもは何もせずに、何かあった時だけ口を挟んで、その信念の邪魔をするような事はしたくないし、されたくもない。
そんな中、今日の居残りは「ありがとうございます」とも言える出来事。
ムスメの事も良く分かっているし、先生の事もすごく信用出来ているからこそ。
我が子を学び舎に預けたら「あとは先生お願いします」でだけでは、いい環境は作れない事を、この1枚の写真から学んだ。
子を通わせている場には、親も一緒に通っているつもりで関わると色んな一面が見えてくる。
目をそらすのは簡単だが、向き合えば向き合うだけ分かる事ばかり。
ワタシは、朝見送る時のたかが10分程度の時間だが、その時間本気で保育園に通い、それを実感している。
これもワタシなりの子育てだ。
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