「おねしょよー!」
まるで毎週楽しみにしているテレビ番組が始まった時の、「始まったよー!」のテンションで今朝は起こされた。
「お、ありがとうつむぎ。もうそんな時間か」
当然そんな事を思う訳もなく、ワタシは寝起きすぐにフラフラしながらベランダに布団を干した。
別のパジャマを着せ、コーヒーを飲みながらつむぎの様子を見ていると、何故かお腹をペシペシと叩きながら「おかあさんといっしょ」を見て陽気に歌を歌っていた。
こういった一面はいつも通りだが、ここ数日で、つむぎに新たな成長を感じる場面があった。
それは、「つむ、ちゃんとご飯食べとってね」と伝えたのにも関わらず、ワタシが保育園に行く準備の為に少し目を離した間、ご飯を食べずに別の遊びをしている事があった。
これについてもいつも通りなので何も思わない。
成長を感じた場面はその次で、ワタシがつむぎの前に姿を現わせると、「やばい!パパが戻ってきた!」と心の声が聞こえてきそうな勢いでご飯を食べ始めた。
ワタシから言われた事をやっていない自分に気付き、大慌てでそれを取り戻そうとしていた。
言われた事を覚えていて、更にそれが出来ていない自分にも気付く事が出来た。
これは立派な成長だ。
自分の頭で考え、大慌てで反省し、反省を行動に移した。
喜ばしい、立派な成長。
だが、それと同時に「何を言われても関係ありません!」と、自由奔放に行動していたあの頃のつむぎは、もう薄くなってしまったという寂しさがこみ上げた。
いつまでたっても付きまとう、成長に感じる喜びと寂しさ。
先日、つむぎが1歳の頃着ていた服を押入れから引っ張り出して洗濯した。
今朝はひかりに、1歳の頃つむぎが着ていた服を着せ、帽子を被せて靴も履かせ、つむぎが乗っていたベビーカーに乗せてつむぎの保育園まで散歩して行った。
ベビーカー越しに見えるひかりが、もう会えないと思っていたあの頃のつむぎに再度会わせてくれているようだった。
思いはそれぞれだろうけど、我が家にとっての「おさがり」は、買い直すのがもったい無いという訳ではなく、「思い出」が詰まっている大切な宝物。
「おさがり」だと、大きくなったらひかりは嫌に思うかもしれないけど、親の気持ちだけで言うと、思い出が詰まった服や靴をもう一度我が子が着用してくれるなんて本当に嬉しい事。
これも親になって初めて知る感情だった。
もう少しの間は、本当に嫌な時がくるまでは、この感情に浸らせて欲しい。
つむぎを保育園まで送り、次はひかりを保育所へ。
4日目にもなれば、ここに連れて来られたらワタシと離れ離れになる事に気づいてしまい、ひかりは大泣き。
別れ際のあの表情は、何度見ても慣れる事はない。
大泣きのひかりと別れた後、ひかりに何かしてあげたいという気持ちが強まり、小さなクマのぬいぐるみを買った。
喜ぶかどうかは分からないけど、とにかく何かしてあげたかった。
明日からの週末、この平日で心に空いた寂しさ全てを埋めるよに、思い切り遊ぼう。
それぞれに、お疲れさまでした。
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